かつては新城市の住民の方の足として暮らしを支えた「豊橋鉄道田口線」。森林資源の運搬を始め、通勤や通学、鳳来寺山までのアクセスとして利用されていた。
その中で、駅のホームの形をはっきりと残しているのが田口線の「三河大草駅跡」。
どのような遺構として残り続けているのか、実際に現地へと訪れ確かめることにした。
山奥の中に残り続ける「三河大草駅跡」

新城市から県道32号長篠東栄線より鳳来寺方面へ向かう。「貴船神社」という小さい神社があり、その先を左折する。
小さい集落と青田の景色が広がる。時折吹く風が稲を波打つように揺らしていた。
歩きながら夏の特有の景色を堪能し、目的地まで向かう。

道中に見つけたトンネル。トンネルの先には一直線に続く道。
田口線廃線跡。レールはもうないが、トンネルや長く続く道は鉄道の面影を残していた。

そのトンネルより逆方向へ視線を移すと、向こうにもトンネルがある。
こちらのトンネルが「三河大草駅跡」に続いているようだ。
トンネルの先に佇む駅の遺構

トンネルへ入るとヒンヤリとして涼しい。カンカン照りの太陽のもとで歩き続けていたので、天然のクーラーのような心地よさがあった。
その反面、地面は乾ききらず少しだけぬかるんでいたため、少し歩きにくい。
ピチャピチャと水音をたてながらトンネルを進む。

トンネル内部は入口と出口のみがコンクリートで補強され、あとは山肌がむき出しとなってゴツゴツとしている。
田口線が全線開通した当時(1932年)は現在のような大型の掘削機はなく、おそらくトンネルの大半は素掘りだったようだ。ゴツゴツしたトンネル内部は当時の苦労を物語っている。
残り続ける「三河大草駅跡」

トンネルを抜けると人工で出来た高台と、かすれた文字の「三河大草」と書かれた木製看板。
ここに「三河大草駅」があったのは間違いないようだ。

ホームにはびっしりと苔が付着しており、整備されなくなってから相当な年月が経過していることが分かる。
調べてみると廃線から50年以上は経っている。
…どのような経緯で田口線は廃線となったのだろうか。
悲しい運命を辿った「田口線」

田口線(当初は「田口鉄道」)は1929年、一部区間を開通し、1932年に全線が開通。当初は森林資源の輸送を目的としており「本長篠駅(旧称:鳳来寺口駅)」から「三河田口駅」までの約23kmの長さであった。
産業用の輸送とは別に、通勤や通学、鳳来寺山へ行くための手段として一般の方にも利用もされ、市民や参拝客の足となり親しまれていた。1956年には豊橋鉄道に吸収合併され、「豊橋鉄道田口線」となる。
しかし、台風などの自然被害による運休や、車の普及により次第に利用者が減少。1968年には惜しまれつつも、田口線はその歴史に幕を下ろした。
兄弟路線とも呼べる「鳳来寺鉄道」や「豊川鉄道」は国有化され現在のJR飯田線として残った。しかし、田口線は国有化されず取り残され、そのまま廃線となった。
残された駅舎は解体や倒壊などで現存するものはない。特に終着駅「三河田口駅」の駅舎は残っていたものの、2011年に倒壊。さらに跡地は設楽ダム建設に伴い、現在は整地されダムにより水没予定となる。
…悲しい運命を辿った田口線。唯一の名残として、ひっそりと残る三河大草駅のホームの遺構の他に、「道の駅したら」には当時の車両であった「モハ14型」が展示され当時の歴史を偲ぶものとなっている。
駅としての役目を終えて

ホームの上に立ってみる。
木漏れ日が差し込み秘境駅跡のように神秘的。今なおこの場所へ訪れる人が絶えないのも頷ける。
当時から神秘的な雰囲気だったのか。調べてみると、ホームには待合所があり、周囲の木々も切り開かれ今よりも明るい駅だったらしい。
山間に佇むこの駅は、当時から利用されている方は多くはなかっただろう。それでも市民の足として残り続けた歴史を思うと、感慨深いものがある。
役目を終えた田口線と三河大草駅跡。苔むした駅跡を見るとゆっくりと自然の一部へと還ろうとしているかのようだ。
アクセス情報
新城市から県道32号長篠東栄線より鳳来寺方面へ向かい、「貴船神社」の少し先を左折します。
しばらく進むと廃線跡の道とトンネルへと着きます。

このトンネルの反対側は↓

のような道が続き、見えているトンネルの先が三河大草線跡となります。
※最寄りに駐車場はありません。路肩に停車する場合は駐車ルールをしっかりと守ってください。




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