太平洋に浮かぶ二つの石門
伊良湖岬へ車を走らせると、突如として現れる二つの巨大な岩礁。

「沖の石門」「岸の石門」と呼ばれており、一つは青い海原に浮かび、もう一つは海岸にどっしりと佇んでいる。この二つの石門は「日出の石門」と呼ばれている。
…すごい迫力がありそうだ。
丘の駐車場に車を停めて、その存在に引き寄せられるように海岸へと降り、石門へと向かうことにした。
「日出園地」へ

「椰子の実」の歌碑
駐車場から車を降りて日出園地の展望スペースへと到着した。草木で視界を遮っているもののここからでも太平洋を眺めることが出来る。
その場所に置かれたひとつの歌碑。
「椰子の実」
島崎藤村の詩を元に後年に作曲され、楽譜付きで歌碑に刻まれていた。
そういえば岐阜県出身の島崎藤村がどうやってここまで来たのか疑問であったが、交流のあった詩人・柳田國男から伊良湖の恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を聞いて着想を得たようだ。
2人の偉人が田原市にも縁があったことと、それと同時に遠くの南国から伊良湖まで椰子の実が流れつくのには驚きだ。
見下ろすと「沖の石門」

展望スペースから階段を降ると、先ほどの大きな岩礁があった。「沖の石門」のようだ。
手前の岩場まで行き、そこから覗いてみよう。

恐る恐る岩場から岩礁を覗いてみた。角度によりしっかりと確認できないが、かろうじて穴が開いていることが分かる。
…強い浜風もあり、怖くて立ち上がり見ることが出来ないな。
直前にいた人はスマホ片手に平然と直立し写真を撮っていた。すごすぎる。怖くないのかな。
さらに降り海岸へ

垂れ下がった木の枝やクモの巣を避けつつ、階段と手すりを頼りにさらに降る。
波の音が徐々に大きくなる。
もうすぐ海岸に着きそうだ。
巨大な岩礁「岸の石門」

海岸へと到着すると、眼前に現れる「岸の石門」。広大な大海原を背景に巨大な岩礁が佇んでいる。

近づくと門のように穴が開いている。これが石門と呼ばれる所以だろう。
その巨大さにただ圧倒された。
「日出の石門」はどのように出来たのか

約15mくらいはあるだろうか。
説明版によると岩礁は、はるか昔に土砂や微生物などの死骸が堆積して作られ、地殻変動で押し出されて突出した形となったようだ。

そして波や雨で中心が削り取られ、石門が完成した。
…恐るべき地球が生み出したパワーだ。こうして田原市を象徴するスポットになったことはありがたい。
「片浜十三里」の海岸

豊橋方面へ視線を移すと果てしなく続く海岸線。「片浜十三里」と呼ばれ静岡県の浜松市までと長い。
この時期ではサーファーが多く、賑わいをみせている。
歴史ドラマのロケ地にも選ばれた

反対の伊良湖方面へと目を向ける。巨大な岩壁と荒々しい波。よく見ると岩が崩れ落ちている。
この場所は2023年の歴史ドラマ「どうする家康」のロケ地にも選ばれたとのことだ。
もうひとつの「門」

岩礁の中心の石門だけでなく、傍らにぽっかりと開いている穴。
こちらも波打ち際に削り取られたのであろう。足跡があり、訪れた人がここの穴を潜ってみたのだろう。
石門の中は…

石門の中はどうなっているのか。入ってみよう。

すぐ先には海。岩礁に波が打ち付けて真っ白な飛沫となって弾け飛ぶ。
その度に荒々しい波の音が石門に響き渡る。

石門の中から丘を見上げる。眩い西日が門に入り込み、長い洞窟から戻ってきた感覚だ。
そろそろ日が暮れそうだ。戻るとしよう。
大海原を見渡せるビュースポット

日出園地の展望スペースへ戻るとさらに奥に続く道があるの発見。帰る前に行ってみよう。

そこには遮る草木が少ない大海原を見渡せるビュースポット。海岸にいた時と違い、波音は穏やかでゆったりと海原を眺めることが出来そうだ。

そこから映る「沖の石門」は、門の形がはっきりとしていた。
戦時中、かつてここは…


「伊良湖防備衛所跡」
かつてここは戦時中に、伊良湖水道を機雷封鎖し、通過する敵艦などを監視する場所であった。
伊良湖水道を広く視認できる絶好の場所であったのであろう。
このコンクリート製の土台も当時のものと思われる。

結果として本土決戦には至らず、終戦を迎えた。
今では多くの船が行き交う伊良湖水道。もし多くの機雷が眠ったままであったらどれくらいの期間、海上封鎖されていたのだろうか。
こうして穏やかな海を眺められる背景には、このような歴史も忘れてはならない。
アクセス情報
日出園地の丘には10台ほど停めることが出来る駐車場があります。
こちらの駐車場数十台停めることが可能です。直接、海岸から日出の石門へ向かうことができます。



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