四谷の千枚田|苦難の歴史と圧倒的な棚田群【新城市】

四谷の千枚田 新城市散策
新城市散策自然

青く澄み渡る夏空と幾重にも重なる石積みの棚田。観光パンフレットや写真でも有名な「四谷の千枚田よつやのせんまいだ」へと足を運ぶと、そこは息をのむほどのダイナミックな景色が広がっていた。

車から降りると、そこには圧倒的な棚田群

四谷の千枚田

車から降りると、目の前に広がるのは圧倒的な棚田群。

これだけでも満足してしまいそうであるが、実際に棚田まで散策しよう。

実際に棚田へと向かう

馴染み深い方言が書かれた看板

「よう来たのん」「百姓にあいさつ出来たかん?」。聞き覚えのある方言が書かれた看板だ。

東三河地方に住んでいる身としては、馴染み深い方言でどこか安心する。

よく見ると…案山子

棚田入り口に休まれている百姓の人たちががいた。

近づいてみる。

ん…?よく見ると案山子か。

焚火の鍋を囲んでいる案山子は団子を片手に談笑をしているかのよう。その傍には竹ぼうきをかざして何か追い払っている仕草の案山子もおり、なんともユニークな光景だ。

農作業着(野良着)を纏った案山子たちを見ていると、ふと畑仕事をしていた祖父母を思い出す。作業の合間に休憩しているところもそっくりだ。

案山子だけでなく、この木で作られたこの鹿たちも案山子同様によくできている。枝や丸太をそのまま活かして作られたようで素朴な感じが何ともいい味を出している。

山の斜面を切り開いて出来た棚田

朝早かったためか山には薄っすら朝靄が立ち込めてる。棚田の眺め斜面をゆっくりと進んで行く。

棚田は鞍掛山くらかけやまの斜面を切り開いて築かれた。それぞれの田んぼは石積みに囲まれ、その傍を小川が流れている。

この水は山から直接湧いた水だろう。山の斜面を活かして水は麓の棚田に満遍なく水を行き渡らせる仕組みとなっている。

田んぼの傍らには「鳳来寺小学校5年」と書かれた小さな看板が立てられていた。

地元の小学生たちが農業体験で田植えを行った場所のようだ。

…自分自身も小学校時代は畑の農業体験をした記憶があるな。

手で苗を植える体験は、子供たちも貴重な学びや思い出になったに違いない。

棚田の真ん中にぽつんと建てられた東屋。

…中間付近まで来たかな。ここで一旦引き返して、車で展望スペースの駐車場まで行ってみよう。

展望スペースから棚田を眺める

駐車場に車を停めて、展望スペースから棚田全体を見渡してみる。7月中旬ということもあり、青々と育った稲が斜面一面を生い茂っている。

最初の駐車場からの景色や、散策中に下から見上げた景色とはまた異なり、ここからも息をのむ美しさだ。

…そういえば、これだけの圧倒的な棚田群は一体どのようにして出来上がったのか。

四谷の千枚田の苦難の歴史

鞍掛山のふもとには、もともと山からの湧き水が涸れることなく流れ恵まれた土地であった。その豊かな水と土地を活かして斜面を耕し、階段状の棚田を作ったことが始まりとされている。最盛期には名前の通り、千枚以上の田んぼが存在した。

代々受け継がれてきた棚田であったが、1904年、大雨による大規模な山崩れが発生し多くの家屋が被害を受け、犠牲者も出るという大惨事に見舞われた。

絶望的な状況の中、重機など存在しない時代であったが村人たちは立ち上がった。もっこや鍬を手に手作業で土砂や荒れ地を耕して、何年もかけて棚田を復活させていったそうだ。

行政からの支援も乏しかった時代に、これほどの復興を成し遂げた当時の人々の労力には、ただただ感服するほかない。

全国で棚田が減りつつある今、この景観と文化を継承し続けている地元の方々には頭が下がる思いだ。

先人たちが苦難を乗り越えて築き上げた想いが、こうして今も変わらない原風景として受け継がれているようだ。

アクセス情報

駐車場はあります。周辺の道は狭くバイクで訪れる方も多いかと思います。

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